第九話
戸が開くたび、寒気と一緒に、文が入ってきた。
(触れの効果を確認。引受、現在三通)
上がり框の端が、少年の帳場になった。帳簿に載らない子の、一日きりの帳場だった。
使いの子が、竹筒ごと文を置いて駆けていった。筒の中に、飴がひとつ入っていた。駄賃だか、間違いだか、分からなかった。
塩袋を提げた女は、框に銭を並べながら言った。
「山の道は、近ごろ物騒だって聞くけどね」
「行きます」
女は少年の顔をすこし見て、銭をもうひとつ、足した。
年寄りがひとり、文を置いて、宛名を二度たしかめた。
「倅への返事は、あんたが読むのかい」
「読み屋がいれば、読み屋が。いなければ、ぼくが」
「……あんたがいい」
「正月は戻らん、とだけ伝えとくれ」と言って、銭だけ置いていく者もいた。文にならない言伝が、束のあいだに挟まっていく。
昼を過ぎても、文は来た。宛名の書けない者は、宛先を口で言った。書ける者は、折り目も宛名も自分でつけてきた。銭袋は、落とすたびに音が重くなった。
「帳面は、つけないのかい」と訊く者もいた。
「覚えます」
頭の中に、間違えない帳面がひとつある。それは言わなかった。
(引受、七通。宛先は、五つの村。最遠まで、六日)
『うん』
*
夕方、手代が顎で裏を指した。
「裏に、おまえを待ってるのがいる」
裏口に、男が立っていた。手ぶらだった。紙も、銭も、持っていない。
「……渡りってのは、あんたか」
「はい」
「文を——」
男は袖の中で、手を握ったり開いたりした。「銭は」と言いかけて、やめた。
少年は、荷袋から紙と矢立を出した。
「書くのも、やります。ついでなので」
戸口の板に紙を伸べる。墨を磨るあいだ、男はずっと、自分の手を見ていた。日雇いの手だった。
男は峠下の村の名と、女房の呼び名を言った。それから短く、こう言った。
「生きている。銭は、まだ送れん。……それだけでいい」
「それだけ、ですか」
「向こうに、読めるやつがいない。読み屋に払う銭で、飯が一日飛ぶ。短いほうが、いいんだ」
手紙の長さは、書く側ではなく、読む側の銭で決まる。少年は、それをはじめて知った。
(……配達物の読み上げに、規定はありません)
『いい。ぼくの決まりにする』
「その村は、どのみち通ります。着いたら、ぼくが読み上げます。読むのは、ただです。——長くても、同じです」
「……ただ働きになるぞ」
「文は、読まれるまで終わらない。ぼくの、決まりなので」
男は、少年を見た。それから袖から手を出して、言い直した。
「なら。……飯は、食っている。心配するな。それから——」
男は一度、裏口の上の狭い空を見た。
「子は、おれの真似を、まだするか」
銭の代わりに、男は頭を下げた。なかなか、上げなかった。
*
発つ朝、市の通りは、まだ暗いうちから荷車が動いていた。人より先に、荷が起きる町だった。
銭袋は重く、荷袋は、これまでで一番重かった。北東の手紙は、いちばん下で眠っている。その上に、七通と、膏薬と、主人の返事。
手代が戸口まで来て、言葉の代わりに、握り飯の包みを荷の上に置いた。
主人は帳場から、一度だけ顔を上げた。
「落とすな」
「はい」
それだけだった。それで、足りた。
(最初の宛先まで、半日。総量は、平時の、およそ三倍——)
『いい重さだよ』
(……把握しました)
道の雪は、町を出て、すぐにはじまった。
(第九話 了)