第五十話

W A T A R I   N O   S H O N E N

あくる朝、菜を蒔いた筋に、緑が出ていた。針の先ほどのものが、点々と土を割ってならんでいた。日のあたる筋から、先に出ていた。フィアハはしゃがんで、しばらく見た。婆は畝のあいだで草を抜いていた。芽の出た筋のそばの草は、指の先でつまんで抜いていた。

畑の仕事は、朝のうちに済んだ。水の道を見て回り、崩れたところは鍬で直した。草を抜き終えると、日はまだ高く、あとの時間が残った。その時間の使いみちは、決めてあった。

「藁を、すこし分けてください」

婆は頷いて、縄をなう手を止めなかった。藁の束は、土間の隅にあった。抱えられるだけを、二度に分けて運んだ。

納屋の脇に、的を立てた。藁を束ね、縄で上下二カ所を締めて、地面に打った杭にくくった。猟師の家で的にしていた、あの束と同じ形だった。締めたのは、婆のなった縄だった。組み上がると、一度ゆすって、確かめた。立てる場所は、矢が逸れても畑に向かわないところを選んだ。夕日で、的は長い影を引いた。影の先は、畑の手前で止まっていた。

朝、弦を張る。夕、外す。雨の日は、的を休ませた。弓は、体を入れると、素直に曲がるようになっていた。弓は夜、土間の壁に掛けた。

はじめの日、矢は的の上を越えた。拾いに歩いて、また放った。

(肘が、下がっています)

声が言った。言われたところを直すと、外れ方が変わった。上でも下でもなく、藁の際を掠めるようになった。掠めた矢は、遠くへは行かなかった。拾いに歩く足も、短くなった。

日をおいて、また言った。

(足の幅が、ひらきすぎています)

直すと、矢は藁の中へ寄った。藁に立つ矢がならぶようになると、二歩下がって、立つ線を土に引き直した。的までの歩数は、日ごとにふえた。線を引き直した日は、はじめの日と同じに、上を越えるところから始まった。越え方だけが、小さくなっていた。

風のある日も、放った。外れは、風下にそろって落ちた。そろい方を見るうちに、風の分だけ狙いをずらすことを、体が覚えはじめた。声は、そのあいだ、なにも言わなかった。

藁に深く立った矢は、回しながら抜いた。抜くたびに羽がすこしいたんで、いたんだ羽は、晩の手直しに回った。

矢が藁を打つ音は、畑まで届いた。婆がふり向くことは、なかった。

罠は、ふたつを沢筋の道に、ひとつを畑の上の斜面に掛けた。教わったとおり、けものの通り跡を先に読んで、道の狭まったところを選んだ。輪の高さは、けものの首のあたりに合わせた。掛け終わると、来た道を戻りながら、自分の足あとを消した。

朝と夕、見て回った。朝の沢筋は水の音が高く、日が差すまで、手の先が冷えた。空の輪はそのままにして、輪のそばの土に、新しい糞や食み跡のあるのを確かめて歩いた。なにも掛かっていない日のほうが、多かった。気にせずに、回った。雨のあとで通り跡が変わっていたので、掛け直した。

それから、掛かりはじめた。はじめて掛かっていた朝は、ほどく前に、輪の締まりぐあいを見た。罠のけものは、着いたときには、もう動かなくなっていた。朝の草は露をためていて、獲物を提げて戻ると、袖が濡れた。獲物は婆に渡し、婆は受け取って、土間へ持って入った。それが、渡す形になった。畑の上の斜面では、ときどき男と行き合った。頭を小さく下げ合って、それで済んだ。

膳の肉は、罠のほうが運んだ。弓で獲れたものは、まだ少なかった。余った肉は薄く切って、風の通る軒下に高く吊るした。鳥の来ない高さは、吊るしてみて覚えた。干した肉は、日ごとに色を深くした。皮は剥いで、枠に張った。納屋の壁の枠は、ふたつ、みっつとふえた。

見回りに通ううちに、草の倒れたところがつながって、細い道になった。

一日の順も、決まっていった。朝は畑と水の道、つぎに罠を回り、昼から的の前に立った。夕方にもう一度罠を見て、暗くなる前に弦を外した。昼の日は、春のはじめのものより強くなっていた。的の前に立つと、首すじが焼けた。

晩は、土間で婆が縄をない、フィアハは矢を見た。羽のゆるんだのは、糸で根を巻き直した。猟師の家の晩に、見て覚えた手つきだった。炉の火が、ふたりの手もとで揺れた。藁の擦れる音のあいだに、糸を締める音が、ときどき混じった。

何日めかの朝、見回りの帰りに、草地の際に兎が出ていた。草を食む頭が、上がっては、また下がった。

フィアハは足を止めた。弓は、朝から張ってあった。風を先に見るのは、もう癖になっていた。草の倒れで風を読み、踏むところを選びながら、木の陰までひと足ずつ寄った。筒から、羽のあたらしいのを選んで、つがえた。距離は、的の線より遠かった。ふだん立つ線から、二歩三歩、先の遠さだった。息を浅くした。

(風が、右から出ています)

放つ前に、声が言った。風の来るほうへ狙いをすこし寄せて、放った。兎は、跳ねずに倒れた。

駆け寄らずに、歩いて行った。もう動いていなかった。矢は拭いて、筒に戻した。始末をして、手を拭きながら、フィアハは言った。

『……先に、言った』

(はい。見えたままです)

兎を腰に提げて、下りた。

夕方、畑からもどった男が、的の前で足を止めた。藁に立った矢を一度見て、それから納屋へ入った。なにも言わなかった。

菜の緑は、日ごとに筋の形になった。婆は伸びたところから間引いて、抜いたのを晩の汁の実にした。汁に、畑のものが入りはじめた。肉と間引き菜と、両方の入る椀になった。膳は、三人で囲んだ。

幾日かして、豆の筋の土が割れはじめた。はじめはひとつ、次の朝にはみっつ、割れ目は筋に沿ってふえた。ひとつをのぞくと、曲がった茎が、弓なりに土を持ち上げていた。葉はまだ、土の中にあった。

夕方、フィアハは畑のふちにしゃがんで、ふたつの筋を見た。菜の緑と、豆の割れ目が、ならんでいた。

(第五十話 了)

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