第四十二話
煙までの道は、登り返しだった。雪はなく、かんじきも要らなかった。それでも、フィアハは何歩かごとに木へ手をつき、息を整えてから、また登った。冬には昼すぎに着いた道が、日の傾くころまでかかった。
道が平らになるところに、犬がいた。冬の朝、見送りをやめて座った場所だった。犬は立ち上がって鼻を寄せ、それから家のほうへ一声吠えて、駆け戻っていった。
戸は、もう開いていた。
男が戸口に立って、こちらを見ていた。目が、手と、足と、荷袋を、順に見た。冬と同じ順だった。目は、途中で止まった。左の脇腹の、着物の切れ目のところだった。
「……南から、」
言いかけて、続かなかった。その先を言うだけの息が、なかった。
男はなにも訊かずに身を引いて、戸口を空けた。
土間は、煙と皮と脂の匂いがした。冬と同じ匂いだった。そこで、足から力が抜けた。
女房が腕を取った。板の間の隅に、夜具が敷いてあった。冬に借りたのと、同じ隅だった。
女房は着物を開いて、布をほどいた。道々の葉が、乾いて貼りついていた。湯でそれを剥がし、傷を洗い、新しい当て物をした。手は迷わず、なにも訊かなかった。
粥が出た。すこししか、入らなかった。
囲炉裏の火は近いのに、寒かった。寒気が、傷のほうから来た。夜具は、冬より重く感じられた。
『おやすみ』を言ったかどうか、覚えていなかった。
*
目を開けると、光がちがっていた。戸の隙間の明るさが、朝のものではなかった。昼の光だった。どの昼なのかが、わからなかった。
体の上に、見覚えのない毛皮が一枚、足されていた。傷の当て物は、新しくなっていた。替えられた覚えは、なかった。荷袋は、枕もとに置かれていた。口の奥に、苦い味が残っていた。なにかを、飲まされたらしかった。
『……ずっと、寝てた?』
(はい。ずっと、見ていました)
いくつ寝たのかは、訊かなかった。
女房が気づいて、粥をあたためた。半分、入った。椀を置くと、目がまた閉じた。こんどの眠りは、飛ばなかった。
*
朝、汗で目が覚めた。夜具が重く、体は軽かった。熱が、出ていったのだった。
着物が、枕もとに畳んであった。血は落ちて、脇腹の切れ目は、細かい針目でとじてあった。
起きて、ゆっくりなら立てた。着物を着た。朝の粥を、はじめて食い切った。
土間に下りて、入口の薪をひとつ抱えた。男が黙ってそれを取り、顎で板の間を指した。まだ、ということだった。
男は弓を負って、出ていくところだった。その背中に、フィアハは言った。
「……フィアハと、いいます」
男はすこし立ち止まり、ふり返らずにひとつ頷いて、出ていった。
犬が入ってきて、上がり口に伏せた。
フィアハは、また横になった。眠りは、すぐに来た。
(第四十二話 了)