第三十四話
夜明けまえに発って、暮れてから戻る。同じ道の往き来が、いくつも重なった。爺さまの火で朝の粥を食い、暗いうちに戸を閉める。それが、冬の形になった。朝の熾と、夕の火。そのあいだに、山がひとつ挟まっているのだった。
はじめ、朝の犬は沢の音のあたりで待っていた。いくつめかの朝には、そこより里の側へ下りて来ていて、迎えの場所は、すこしずつ動いた。夕方の見送りも、おなじだけ延びた。犬の息は鼻先で凍って、朝ごとに白いひげになった。境は、あるままで、ゆるんでいった。
教わりは、続いた。どれも、言葉ではなかった。皮の乾かし方は、猟師の家では教わらずじまいだった。納屋の壁の干され方を見て、覚えた。火に寄せすぎないこと。日なたに出さないこと。急がせた皮は、固くなるのだった。罠に触るまえに風のほうを見るのも、見て覚えた。雪の上の足あとの読みも増えた。兎の走りと、狐のならび。夜のあいだの出来事は、朝の雪に残っているのだった。
昼は、あの低い家の中で食うようになった。犬の伏せる場所が、戸口の内から、日ごとに少年の横へ寄った。その家にひとつだけ、使い道のないものがあった——茜色の細紐が一本、囲炉裏の煙の届かない場所に、埃ひとつ置かずに掛けてあるのだった。
分け前は、途切れなかった。爺さまの納屋の棚は、半分より下が空いたままだったが、そこから先へは減らなくなった。鍋には、肉の日が増えた。爺さまの家の軒にも、小さい皮の枠がひとつ並んだ。戸を開けるまえに、爺さまが首を振る日があった。そういう日は、行かなかった。行かない日は、火の脇で爺さまと縄を綯った。
*
分かれ道の朝が来た。罠の並びが二手に割れるところで、セタンタが足を止めて、顎で沢の側を指した。言葉は、なかった。セタンタは尾根の奥へ歩き出し、犬は、少年の側に残った。ふり返らない背中は、名乗りの日と同じだった。
沢までの罠は三つ。ひとつは雪の重みで枝が下がり、留めだけが残っていた。掛け直して、ひとつ多い結びを、教わったとおりに結んだ。指は、もう迷わなかった。犬は、罠のひとつ手前で足を止めて、待った。教えられたのではなく、そういう犬なのだった。
兎は、獲れる日と獲れない日があった。獲れない日の空の罠に、もう、なにも思わなかった。セタンタが奥で大きいのを獲って、担いで下りる日もあった。
*
ひとりで回った最初の晩、火の前で、少年は言った。
『きょうは、ひとりで回った』
(はい。見ていました)
それきり、どちらも黙った。黙っていても、途切れてはいなかった。夜の締めは、旅のころと変わらなかった。『今夜も』(はい)。それで足りるのも、変わらなかった。
はじめの幾日か、セタンタは夕方に沢側を回り直していた。それが、なくなった。見に行かなくなったことが、そのまま返事なのだった。
いちばん寒いころ、沢の音が細くなった。それから、気がつくと、夜明けまえの暗さが薄くなりはじめていた。日は、すこしずつ、長くなっているのだった。
同じ道を、往きに踏み、帰りに踏んだ。登りと下りの別は、もう分からなかった。雪が降っても、一日では埋まらない深さに、道は沈んでいた。道には、芯ができていた。
(第三十四話 了)