第三十一話

W A T A R I   N O   S H O N E N

朝、目が覚めると、手が荷を整えはじめていた。

外は、まだ薄暗かった。囲炉裏に、火を起こす音がしていた。旅のあいだは、起きたら発った。畳んだ空の袋に手が触れて、止まった。行く先が、なかった。少年は、荷を壁に戻した。手だけが、まだ発つ気でいた。

爺さまは、もう起きていた。鍋に湯が立って、芋の粥のにおいがした。

「食いなさい」

粥は、ゆるくて、熱かった。ふたりで食うと、鍋は軽くなった。洗いものは、少年の仕事にした。ふたつの椀は、すぐ乾いた。爺さまの懐で、紙の音がした。手紙は、まだそこにあるのだった。少年は、なにも訊かなかった。

「……南へ、帰るのか」

爺さまが、手を止めて言った。

「春に。寄るところが、あります」

「峠は、もう閉じてる。春まで、開かん」

少年は、椀の中を見た。来た道の、長い下りを思った。

(記録でも、そうです。南の道は、雪のあいだ通れません)

声が、言った。爺さまの言葉と、記録が、重なった。

『……そうか』

帰れないことは、それで決まった。嘆く筋のものでは、なかった。雪は、毎年降る。道は、毎年閉じる。この土地では、それが冬なのだった。

昼まえ、少年は雪を搔いた。戸口から道まで。それから、納屋の前。里の道でも、雪搔きの音がしていた。搔いた雪は、どの家も同じ側に積んであった。風下だった。

納屋の戸を開けて、爺さまが干し芋を下ろすのを、手伝った。梁から、干した草の束が下がっていた。芋の棚と、漬けものの甕がひとつ。棚は、半分より下が、空いていた。ひとりの冬の、蓄えだった。

昼の飯は、朝の残りだった。どちらも、そのことは口にしなかった。

少年は、その晩から、椀を小さくしようと決めた。決めてから、それでは足りないことも、分かっていた。雪搔きと薪では、冬まるごとの宿に、釣り合わない。渡りの決まりにはない勘定だった。それでも、勘定は勘定だった。

夕方の火の前で、少年は訊いた。

「働けるところは、ありますか」

爺さまは、すぐには答えなかった。少年の壁ぎわの荷を見た。かんじきと、皮の枠が、立てかけてあった。

「……山を、やるのか」

「猟師の家で、習いました。罠と、始末を」

爺さまは、火に枝を足した。

「北の尾根に、狩人がいる。冬のあいだ、独りで山をやっとる。人手を、断る男だが——」

爺さまは、そこで少し黙った。

「訊いてみるといい」

断られたら、また考えればいい。訊くのは、ただだった。

尾根までの道は、朝に教わることにした。それで、話は終わった。この家の話は、いつも短かった。

尾根の方角は、暮れるまえに、戸口から見ておいた。低い山の連なりの、いちばん手前だった。

夜、囲炉裏の火が熾になった。

『春まで、どれくらいだ』

(雪解けの時期は、年によります。——数えられません)

少年は、熾を見た。数えない旅を、してきた。こんどは、数えられない冬だった。

『そうか。……ちょうどいい』

(はい)

声は、それ以上、訊き返さなかった。

爺さまは、先に休んでいた。壁の釘の手袋が、火の明かりの届くところに、あった。

明日は、尾根へ行く。少年は、目を閉じた。

雪の音は、しなかった。降っていないのではなく、屋根が厚いのだった。

(第三十一話 了)

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