第三十話
朝、燃えさしを残して、林の際を発った。雪は、夜のうちにやんでいた。空が、白く晴れていた。
発つまえに、手紙の位置を確かめた。一度だけだった。
下りの道に、刻みが続いた。数は、木ごとに増えた。道が曲がるたび、屋根が近くなった。荷は、軽かった。糧の包みは、もうほとんど鳴らなかった。いちばん上は、手紙のままだった。
里の入口に、雪の土手が続いていた。踏み固めた道が、家々のあいだへ通っていた。屋根の上に、石が並べてあった。風の強い土地の屋根だった。どこかで、薪を割る音がしていた。
最初の家の前で、雪を搔いていた男が、手を止めた。少年を、頭から足まで見た。
「……渡りか」
「手紙を、届けに」
差出しの名を、言った。男は搔く手を戻して、道の奥を顎で示した。
「いちばん奥の、家だ」
*
奥の家は、雪囲いが古かった。直した跡が、何段もあった。戸を叩くと、間があって、開いた。
小さい爺さまだった。少年を見て、それから、荷袋を見た。
「手紙を、預かってきました」
少年は、荷のいちばん上から手紙を出して、両手で差し出した。
爺さまは、両手で受け取った。表の字を見た。自分の字だった。裏を返した。封は、切ってあった。
「……開いてるな」
「おれが、切りました」
爺さまの目が、手紙から少年に移った。
「墓の前で、読みました。最後まで」
爺さまは、しばらく動かなかった。手紙を持った手が、ゆっくり下がった。それから、戸を大きく開けた。
「……入んなさい」
*
土間に、火があった。煙のにおいの染みた家だった。爺さまは、手紙を持ったまま、火の前に座った。開かなかった。長いあいだ、表の字だけを見ていた。火が、その手を照らしていた。
返事を待つ字は、書いた手に戻った。
壁の釘に、手袋が掛かっていた。織りの手袋だった。ほつれを、太い糸で直した跡があった。少年は、なにも言わなかった。
「……いつだった」
「分かりません。おれが着いたとき、土が、まだ新しかった」
「どんな、ところだ」
「日当たりのいい、斜面でした」
爺さまは、うなずいた。それきり、訊かなかった。火が、鳴った。
*
夕方、少年は水を汲み、薪を運んだ。頼まれたのではなかった。手が、勝手に動いた。爺さまは、鍋に芋を足した。
夕餉は、ふたりで食った。芋は、熱かった。湯気で、顔があたたまった。ふたりとも、しゃべらなかった。爺さまは、そのあいだも、手紙を懐に入れていた。
「今夜は、泊まっていきなさい」
外は、また降りはじめていた。少年は、頭を下げた。
*
夜、囲炉裏の火が落ちて、熾になった。屋根の下で眠るのは、猟師の家以来だった。壁の向こうで、風が鳴った。屋根は、鳴らなかった。
(規定を、ひとつ追加しました)
声が、言った。
『……なにを』
(読んだ者が、伝えに行く)
少年は、熾を見た。
『知ってる。おれが作った』
(はい)
それきり、声は黙った。反対しないときの黙り方とは、違う気がした。どこが違うのかは、分からなかった。
熾の赤が、壁にゆれた。明日のことは、まだ決めていなかった。
荷袋は、壁ぎわに置いてあった。いちばん上が、空いていた。
雪は、夜のあいだ、降り続いた。
(第三十話 了)