第二十九話
雪は、その晩から降り続いた。急ぐ雪ではなかった。積もる雪だった。
朝ごとに、道を選び直した。芯は、雪の下でも足に分かった。獲れる朝と、獲れない朝があった。皮は、もう枠に張らなかった。荷が、そのぶん軽くなった。晩の湯には、干し肉の欠片を落とすだけになった。塩は、残り少なかった。息は、白かった。その白さで、日の冷たさを測るようになっていた。
燃えさしは、朝ごとに残した。渡りの習いだった。煮炊きは、晩と決めていた。昼に火を焚いたことは、一度もなかった。かんじきの紐は、二度、結び直した。猟師の家の結びを、手が覚えていた。荷を解く手順も、考えずに動くようになっていた。手紙をいちばん上に置くことだけは、いつも、指で確かめてからにした。
白い幹の木は、いつのまにか林になっていた。松は、もう見当たらなかった。
*
何日か過ぎたころ、道の脇の木に、刻みがあった。
上から三つ、深さの違う切り込みだった。刃の跡が、まだ新しかった。少年は、足を止めて見た。同じ形の刻みが、少し先の木にも、あった。
(三つで、半日。人の手です)
声が、先に言った。少年が訊くまえだった。
『……北東の、印か』
(分かりません。ただ、道しるべの形です)
少年は、確かめるように、指で刻みをなぞった。木の脂で、指先が汚れた。刻んでから、まださほど経っていない証だった。
刻みは、それからも続いた。数は、木によって違った。多いところは、道が曲がる手前だった。少ないところは、まっすぐな道の途中だった。そのつぎに見つけた刻みは、少年ひとりで読めた。三つで、半日。声は、なにも言わなかった。
風が、変わった。北からでなく、東から来る風だった。乾いていて、冷たさの質が違った。木の間隔が、広くなった。地面が、石まじりになった。踏むたびに、乾いた音が立った。雪の下の土とは、違う音だった。
*
その日の夕、道が高みに出た。
木立が切れて、下に、ひらけた土地が見えた。屋根の稜線が、いくつも並んでいた。煙は、まだ細く、二、三本だけだった。人影は、見えなかった。物音は、ここまで届かなかった。風向きが変わるたび、煙のにおいだけが、かすかに届いた。すぐに、また消えた。
少年は、しばらく、そこに立っていた。
『今夜は、もう近づかない』
声は、なにも言わなかった。
少年は、来た道を、少しだけ戻った。屋根も、煙も、見えない位置まで。それから、荷を下ろした。
*
野営は、林の際に決めた。屋根のあった方角には、火を大きくしなかった。
晩は、干し肉の欠片と、湯だけだった。干し肉は、もう指先ほどの欠片しか残っていなかった。湯で、ふやかしてから口に入れた。皮の枠は、荷から出さなかった。もう、張るための皮がなかった。かんじきの紐も、確かめた。ゆるみは、なかった。それでも、確かめた。
少年は、荷を探って、手紙を確かめた。いちばん上に、あることを指で確かめてから、また探って、もう一度確かめた。いつもは、しない仕草だった。
火が、小さく爆ぜた。
(今夜も、見ています)
声が、先に言った。少年は、すこしのあいだ、火を見ていた。それから、ひとことだけ返した。
『……そうか』
風が、木立の上を通り過ぎていった。屋根のある方角からは、なにも聞こえなかった。少年は、しばらく目を開けたままでいた。星が、いつもより近く見えた。
(第二十九話 了)