第三話
市の日だった。橋のたもとから声が重なって、人だかりの匂いがした。焼いた粉の匂い、家畜の匂い、なめし革の匂い。
(出店数およそ六十。滞在の目安、半刻)
少年は端の露店から順に回った。
「渡りだね」
代筆屋は、莚の上に硯と紙を広げていた。皺の深い手を止めずに訊く。
「どっちへ回る」
「東の方を、二つみっつ」
「なら頼めるかい。二通」
皺の深い手が、震えながらも迷いなく筆を運ぶ。書き終えた文字は、震えとは裏腹にまっすぐだった。
「あんた、指」
代筆屋が、少年の指先を見て言った。墨の染みが、爪の際に残っている。
「最近、自分でも書くもので」
「ふうん」
それだけだった。代筆屋は封をふたつ、荷袋の重さを量るような目で渡した。
隣の莚では、若い男が布告を読み上げていた。聞いているのは字の読めない百姓らしい二人連れ。読み終えると、男は少年に気づいて顎をしゃくった。
「よう、渡りの。まだその仕事続けてんのか」
「続けてる」
「おれの使い走りだったころより、面つきが渡り臭くなったな」
読み屋は笑って、また百姓のほうを向いた。それだけの、短いやり取り。
(本日の受注:二。荷は軽量。次の到着地まで一刻半)
市の中ほどで、年かさの渡りが二人、荷の重さを比べながら立ち話をしていた。ひとりが少年の荷袋を見て、目を留める。
「北東行きが、まだそこに入ってんのか」
「うん」
「もう何度目の市だ、それ」
答えなかった。年かさの渡りは、責めるふうでもなく、ただ商売の話として続けた。
「おれ、来月には北の方まで回る。委託しな。銭は要らん、次に会ったとき奢れ」
(規定上、委託は可能です。信用照会:当該渡り、市場での取引実績十二年。問題ありません)
声はただ、事実を並べただけだった。反対も推奨もしない。それが余計に、少年の中の天秤を揺らした。三十九日。まだ半分も進んでいない。委託すれば、荷袋は軽くなる。
「——いや。いい」
「銭はほんとに要らんのだが」
「銭の話じゃなくて」
年かさの渡りは、それ以上は聞かなかった。渡り同士の流儀だった。「そうか」とだけ言って、自分の荷を担ぎ直す。
「まあ、若いうちはそういうのも悪くない」
去っていく背中を見送って、少年は荷袋の口紐を結び直した。
『おれ、変か』
(統計上の質問でしたら、回答できます。渡り全体における委託利用率は——)
『いいよ、それは』
(……失礼しました)
声はそれきり黙った。反対しないときの黙り方でも、事実を並べるときの黙り方でもない、三つ目の黙り方だった。少年はまだ、その違いに名前をつけていない。
市を出るころ、代筆屋の莚はもう畳まれていた。読み屋の声だけが、遠く布告を読み上げ続けている。
荷袋の底で、北東の手紙は変わらず眠っている。今日も、軽くならなかった。
それでいい、と少年は思う。急いでいないだけで、忘れてもいないのだから。
(第三話 了)