第二十話
村の跡を出てからの道は、朝も昼も、白いばかりだった。
音のない日がつづいた。自分の足の音と、自分の息と、ときどき、声。それで全部だった。
夜ごとに、岩の陰、木の根の下、雪の洞と、寝る場所を変えた。いちばん風がないのは、雪の洞だった。そういうことを、ひとつずつ覚える道だった。
粉の袋は、もう振らなかった。振れば、残りの軽さが分かってしまう。朝と晩にひとつまみずつ、湯に溶いた。飯というより、白い湯だった。
(尾根の右を、巻きます)『うん』(水は、次の沢で)『うん』——それだけの言葉で、一日が保った。
四日目の暮れに、声が言った。
(冬至まで、一日)
『……うん』
その夜は、なかなか眠れなかった。
*
朝、雪の明るさで目が覚めた。
(冬至です)
数える日が、なくなった日だった。
『うん。……今日は、おれの誕生日だ』
(はい)
それだけだった。少年はすこし笑った。この声らしかった。
ほんとうの生まれた日を知らない子は、冬至に生まれたことにする。孤児院では、そういう決まりだった。冬のいちばん深い日に、粥がすこし甘くなって、みんなが一つずつ歳をとった。粥の椀を持って列に並ぶと、前の子も、うしろの子も、その日はみんな、同い年の顔をしていた。冬至だけは、だれもが、生まれた日のある子だった。
だから今日で、少年もひとつ、歳をとったことになる。荷袋のいちばん上で、手紙が、雪の照り返しにすこし白く見えた。
歩き出すと、日はいつもより低いところを回って、昼をすぎても、山の背より高くならなかった。風はなく、寒さだけが澄んでいた。影が雪の上にながく伸びて、少年より先を歩いた。
*
日が落ちる前に、声の言った岩場に、岩屋はあった。口は狭く、中は乾いていた。
奥の壁ぎわに、前の火の跡があった。灰は白くなっていた。そのそばに、燃え残りの枝が、乾いたまま立てかけてあった。いつの、だれのものかは分からない。なんの決まりかは、知っていた。
少年は明るいうちに枝を集め、置いてあった枝を足して、火を入れた。夜より先に、火があった。
*
袋を、逆さにした。手のひらに叩いて、粉を最後まで出した。角に残った分も、指でぬぐった。
石を火に寄せて、温めてから、練った粉を置いた。じゅう、と音がした。焼けるあいだの匂いが、岩屋にこもった。ひとつまみの日々には、匂いまでは立たなかった。
焼けた村の男が挽いた麦の、これが最後だった。薄い一枚を、少年はゆっくり食った。噛むと、麦の味がした。湯の白とは、別の食いものだった。食い終わると、指についた分まで舐めた。誕生日の飯だった。
空になった袋はたたんで、荷袋の底に仕舞った。
*
夜は、長かった。
火を小さく保って、少年は岩の壁にもたれた。星が、岩屋の口の形に切り取られて見えた。枝を足すたび、影が天井で大きくなって、また落ち着いた。眠くなるまでの時間が、いつもより多くあった。
誕生日が、終わりに近づいていた。火を見るほかに、することのない夜だった。それが、いやではなかった。
『ねえ』
(はい)
『きみのは——』
言いかけて、やめた。
たぶん、訊いても出ない。それより、いい決まりがある。
『……きみも、冬至でいいよ』
火が、小さく爆ぜた。
『おれも、ほんとうの日は知らない。それでも、今日でいいんだ。そういう決まりなんだ。……だから、きみも』
(……記録しました)
火が、また小さく鳴った。
夜は、まだ長かった。少年は横になって、荷袋を抱えた。
『おやすみ』
(はい)
(第二十話 了)