第十九話
妹の村を出た日の昼まで、道は道の形をしていた。午後には人の跡が絶え、次の日の朝には、枝束のしるべも見なくなった。あとは、声の言う方角と、歩けるところを選ぶ足だけだった。
(北へ。尾根をひとつ、越えます。左手に、岩がふたつ、並んで見えるはずです)
『うん』
岩は、言われたとおりに、ふたつ並んで現れた。古い記録は、まだ道を覚えていた。
風の少ない斜面を選んで登り、日のあるうちに越えた。ふり返ると、自分の踏んできた跡を、もう風が薄めはじめていた。その夜は、倒れた木の根の陰で眠った。粉の袋は、振ると、中身より袋の音のほうが大きくなっていた。
*
三日目の昼、声が言った。
(この先、谷を下りたところに、村があります。記録では、戸数、九。今夜は、そこが宿です)
『人のいるとこ、ひさしぶりだね』
囲炉裏を思い、湯を思い、屋根の下の夜を思って、足はすこし早くなった。
*
谷を下りきったとき、日は山の端にかかっていた。
村は、あった。屋根の並びが雪をかぶって、戸の並びも、井戸の屋根も、あるべきところにあった。
煙が、一筋もなかった。
村口に立って、少年は耳を澄ませた。犬の声も、戸の音も、人の声もない。雪を踏む自分の足音だけが、村の中へ入っていった。
(……記録を、訂正します。「村」——「村の、跡」)
間は、たしかにあった。けれど、応えは来た。調べ直して、同じ答えしか出なかったときの間だ、と少年は思った。
戸は、どの家も閉てられていた。傾いた家はあっても、破られた家はなかった。近づくと、どの戸にも、外から枝がかませてあった。風で開かないための、閉て方だった。軒下には、薪を積んであった形だけが、雪の段になって残っていた。
少年は、家と家のあいだをゆっくり歩いた。歩きながら、戸を数えた。九つ、あった。記録のとおりだった。井戸の縁に釣瓶はなく、縄の擦れた痕だけが深く残っていた。
一軒の枝を外し、戸を引いて、中を覗いた。土間は掃かれたなりで、竈の灰は掻き出され、鍋も桶も蓑も、なかった。暮らしの道具が、ひとつ残らず持ち出されていた。
焼けた村では、金物だけが消えていた。ここでは、暮らしがまるごと畳まれて、運ばれていた。奪られたのでは、なかった。
*
屋根のいちばん確かな一軒を、借りることにした。
囲炉裏の跡に、外で拾った枝で火を入れた。火が入ると、家は、家の顔になった。火の明かりが柱をなぞって、背くらべの刻みが、段々にならんで見えた。
湯を沸かし、粉をひとつまみ溶いて飲んだ。袋の残りを思えば、それでよかった。
『ねえ。みんな、どこへ行ったんだろう』
(不明です。記録に、その後がありません)
『……そっか』
少年は火に枝を足した。
火の届くところまでが家で、その先は、外と同じ夜だった。夜半、梁がひとつ鳴った。人がいなくても、家は夜のあいだ、小さく鳴るものらしかった。少年は荷袋を抱き直した。
『おやすみ』
(はい)
*
朝、火の始末をした。灰を掻き出し、燃え残りの乾いた枝は、土間の隅に立てかけた。次に来る者のための、渡りの習いだった。
出るとき、戸を閉てた。入るときに外した枝を、元のとおりに戸へかませた。それから、一度外して、来たときよりすこし固く、かませ直した。
村の出口で、少年は一度だけふり返った。風がひとつ来て、戸を押すのが見えた。戸は、開かなかった。
(冬至まで、四日)
『うん』
少年は北へ向き直って、歩き出した。
(第十九話 了)