第十八話

W A T A R I   N O   S H O N E N

朝、炭焼き小屋の跡を出ると、道はすぐに登りになった。

(尾根を北へ。日のあるうちに、岩陰に着きます)

『うん』

跡のない雪は、どこまでも同じ白に見えた。それでも、木々の切れ間や風の通り方に、人の使った名残はある。少年はそれを拾いながら登った。

昼過ぎ、雪の上に、枝を束ねて立てたものがあった。南の道なら、石を積むところだ。形は知らない。だが、立て方で分かる。しるべだった。同じものが、間を置いて、登りの先へつづいていた。

(記録には、ありません。しるべとして、扱います)

岩陰は、声の言ったとおりの場所にあった。その夜は、そこで眠った。訂正は、いらなかった。

ふたつ目の山は、ひとつ目より低かった。そのかわり、風が強かった。

日が傾くころ、下りの木々の向こうに谷が見えた。屋根が、七つ、八つ。どの屋根も立ちが急で、雪を載せていない。落とされた雪が、家々の足もとで土手になっていた。南の村は、雪を厚く載せて、低くうずくまる。ここの家は、立ったまま冬をやり過ごすつくりだった。

煙の匂いがした。境界を越えてから、はじめての人の匂いだった。

村口の最初の家で、戸を叩いた。

戸は、手のひらほど開いた。火の明かりを背にして、男の顔が半分だけ見えた。

「どこの者だ」

言葉の尻が、聞き慣れない形に曲がった。それでも、意味はまっすぐ通った。

「南から来ました。山ふたつ向こうの村から——そこの婆さまの言伝を、預かっています。宛先は、この村へ嫁いだ、その妹さまです」

男は、すぐには答えなかった。目が一度、少年の上から下へ動いた。

「……渡りか」と、男は言った。「ここまで来るのは、めずらしい」

戸が、すこしだけ広く開いた。

「上の婆さまなら、突き当たりの、水場の上の家だ」

上の婆さま、と男は呼んだ。少年の預かってきた言葉の中では、その人はまだ妹だった。

礼を言うと、戸はもとの幅にもどった。

突き当たりの家の前に、その水場はあった。氷が割ってあり、割り口は新しかった。

戸を叩くと、老いた女が開けた。小さく、背は曲がりかけていたが、目はまっすぐ少年に来た。

「山ふたつ向こうの村から来ました。婆さまから——姉さまから、言伝を預かってきました」

言い直しのひとことで、女の顔から問いが消えた。

囲炉裏のそばに、座らされた。女は縫いかけの布を取り上げ、針を持ち直してから、言った。

「聞こうか」

「短いものです」と少年は言った。「——今年も漬けた。それだけ、預かってきました」

針が、止まった。

布の上の手は、動かないまま、しばらくそこにあった。それから妹は、針を布に刺して置き、黙って立ち上がった。

土間の奥で、重い蓋の鳴る音がした。

戻ってきた手には、鉢があった。高く盛ってあった。

「おあがり」

少年は食った。山ふたつ向こうの囲炉裏で食ったのと、同じ味がした。

「姉さまは」と妹が言った。「達者だね」

訊く形ではなかった。

「はい。向こうの囲炉裏で、漬け物を食わせてくれました」

妹はうなずいて、それきり何も訊かなかった。少年が食うのを、火越しに黙って見ていた。

その晩は、囲炉裏の端に夜具を借りた。

朝、戸口の軒に、藁を編んだ輪が掛かっていた。隣の家の軒にも、そのまた隣にも掛かっている。少年の知らない支度だった。

(冬至の支度です。この土地の。冬至まで、七日)

『南と、ちがうんだね』

(支度は、ちがいます。日は、同じです)

発つとき、妹は戸口まで見送りに出た。

「気をつけて行きなされ」

それで、足りた。

村はずれで、少年は荷袋を詰め直した。北東の手紙を、いちばん上に。預かりものは、この一通だけになった。頭の中の言伝も、ひとつも残っていない。ひさしぶりに、静かだった。

道の先に、白い山なみが北へつづいていた。歩き出すと、荷のいちばん上で、紙のこすれる小さな音がした。

(第十八話 了)

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