第十四話
川下の町へは、二日半で着いた。峠をひとつも越えない道は雪が浅く、歩きやすかった。
(川下の町です。橋の上の風、強め)
『うん』
長い橋の下を、舟がゆっくり下っていく。二艘しか見えなかった。前に来たときは、三艘が続けて下っていった。冬が、舟の数を減らしていた。
間口五間の店では、手代が先に少年を見つけた。
「山から戻ったか」
「はい。機屋のおかみさんから、言伝を預かってきました」
主人は帳場にいた。少年は框の前に立って、預かった言葉をそのまま口にした。
「二反、冬至の十日あとに上がる。——それだけ、と」
主人は帳面を開いて、筆で書き付けた。それから顔を上げた。
「たしかに」
(冬至まで、十六日)
声が数えた。三十八日から数えはじめた時計は、いつのまにか半分より短くなっている。もう、誰もその数字を遮らない。急ぐ者のいない取引だった。
「今夜も蔵の脇でいいか」と手代が言った。夜具の厚い、あの三畳だった。
*
翌朝、少年は舟着き場へ下りた。
峠下の村の女房から、もうひとつ言伝を預かっている。宛先はこの町で日雇いをしている亭主——ただし文と違って、言伝には宛名が書いていない。少年が知っているのは、男の顔と、袖の中で手を握ったり開いたりする癖だけだ。名前は、聞いていない。
荷揚げ場は、朝から人と俵で埋まっていた。舟から岸へ板が渡され、男たちが列になって俵を担いでいく。息が白く、掛け声は短い。どの手も、日雇いの手だった。
橋のたもとには、筵が並んでいた。前は三つだった。いまは、四つある。少年は数えて、それから目を戻した。誰の目も、そこを素通りしていく。それも、前と同じだった。
男は、探すより先に、向こうから見つけてくれた。
「——渡りの」
俵の列の陰から声がかかった。振り向くと、男が手拭いで首を拭きながら立っていた。あの裏口で、銭の代わりに頭を下げていった男だった。
「文は」
「届きました。おかみさんは字が読めないので、ぼくが読み上げました。——二度」
「二度」
「もういっぺん、と言われたので」
男はすこし黙った。何か言いかけて、口を閉じた。訊きたいことの多い顔で、何も訊かなかった。
「それから、おかみさんから言伝です」
少年は、預かってきたとおりに言った。
「——『してるよ』と。『しょっちゅう』と」
風が、川の上を渡っていった。
男の手が、袖の外で、ゆっくり握られて、開いた。あの子が真似ている手だった。男は自分の手を見て、それから少年を見た。
「……そうか」
「はい」
「そうか」ともう一度言って、男は懐に手を入れた。
「言伝は、目方にならないので」と少年は言った。「銭は、いりません」
男は懐から手を出した。出したその手で、もう一度、握って、開いた。それから背を向けて、俵の列へ戻っていった。担いだ俵の下で、肩が一度、大きく上がって、下りた。
*
夜、蔵の脇の三畳で、少年は荷袋を開けた。
言伝はふたつとも、届け終わった。銭になる手紙も、急ぐ手紙も、もうない。粉の袋を持ち上げると、その下に、北東の手紙が一通あるだけだった。
荷袋のいちばん底で、ずっと眠っていた手紙だ。宛先の機織りの婆さまは、もういない。墓の前で読み上げて、「読まれた」という報せだけを北東の差出人へ届けると、少年が自分で決めた手紙だった。
少年は手紙を、底へは戻さなかった。粉の袋のほうを、そっと下に敷いた。
(残る宛先は、一件です。北東——およそ、三十九日)
『うん』
それだけ言って、灯を消した。行くとも行かないとも、まだ言っていない。ただ、荷袋の中で、いちばん上になったものがある。
戸の外では、今夜も川の音がしている。
(第十四話 了)