第四十八話
朝、川下の町を出た。峠を使わない低地の道は、何度も歩いた道だった。冬に雪をかいて越えた曲がり角に、小さい花が出ていた。途中の村で囲炉裏の隅を借りると、うちに文はないかと訊かれた。ないと答えると、それで済んだ。二晩を道で過ごした。荷袋のいちばん上で、文の束が乾いた音を立てた。
三日目の昼、見覚えのある谷あいに、煙がひとすじ立っていた。焼けた村だった。
焼け跡には、草が上がっていた。黒い土の上の、濃い緑だった。焼け残った梁は、畑の脇に運ばれて、棚に組まれていた。畑は起こされ、畝が立って、土が日を吸っていた。
畑の中に、婆がいた。腰をかがめて、畝の草を抜いていた。足音に気づいて、腰を伸ばした。抜いた草を畝の外に置いて、長いこと、こちらを見た。
「……渡りの」
「はい」
それだけで、用は足りた。
畑の隅で鍬を直していた男が、顔を上げて、会釈をよこした。村は、ふたりのままだった。
「焼けた村の、婆さま宛てです」
フィアハは、束から一通を抜いて、差し出した。婆は受け取って、表と裏を見て、フィアハに戻した。
「読んでおくれ」
フィアハは、日のある方へ、体を回した。手は、震えなかった。婆は、土のついた手を前で合わせて、待った。
「——かあへ。豆と、菜を送りました。豆は、霜のあとに。菜は、いつでも。深く埋めないでください。かあの畑なら、育ちます」
畑の隅で、男の鍬の音が止まっていた。
婆が、声を出して笑った。
「……あれが、わしに畑を教えるか」
「芽が出たら、知らせてください」
読み終えると、婆はなにも言わなかった。畑のほうを、見ていた。
家の棚に、小さな布袋がふたつ、置いてあった。豆と、菜だった。種は、文より先に着いていた。婆が袋の口を開けて、手のひらに豆をいくつか出して見せた。この村の豆より、すこし丸かった。よその土地の、豆だった。
*
晩、荷袋の底から、畳んだ粉の袋を出した。冬をまるごと越えて、布は薄くやわらかくなっていた。男に、返した。男は受け取って、畳み皺を伸ばすように、しばらく手の中で見ていた。それから土間へ入り、粉をひとすくい入れ、口を縛って、返してよこした。
袋は、また荷袋に入った。こんどは、底ではなかった。
翌朝、村の上手の、山へ入る道の口に、踏み跡があった。まだ新しかった。フィアハは、すこし見て、目を戻した。
菜は、次の日の朝に蒔いた。風のない朝だった。菜の種は細かく、指の間からこぼすように落とした。婆が畝に浅い筋を引き、フィアハが種を落とし、男が土をかけた。三人の列は、ゆっくり進んだ。深くは、埋めなかった。
その次の朝、畑がうっすらと白くなった。霜だった。白は、日が上がるまえに消えた。婆は畑を見て、言った。
「豆は、あしたじゃ」
*
その朝、霜はなかった。土はゆうべの冷えをまだ残していたが、日が当たると、すぐにゆるんだ。
豆は、ひと粒ずつ、指の節の深さに押し込んだ。フィアハも、畝をひとつ受け持った。土は、指のまわりで冷たく、押し込んだ先で、すこしあたたかかった。
昼までかかって、畑が終わった。婆は畑のふちに立って、端から端まで、ゆっくり見ていった。
夕方、手を洗って、畑を見た。畝は、朝と同じ顔に戻っていた。種は、もう見えなかった。
『芽が出たら、知らせに来よう』
(はい)
日は、まだ高かった。
(第四十八話 了)